担当:藤道(視覚科学)
今日これまでに何をしたか思い返してみましょう。
朝起きて電気をつけて、歯磨きをして顔を洗って家を出て、歩いて大学に向かって講義を受けて……
このように日常を振り返ってみると、私たちが生活の大半を視覚に頼って過ごしていることに気づきます。
電気をつけるためにはスイッチを、歯磨きをするためには歯ブラシや歯磨き粉を、歩くためには周囲の人や自転車を、講義を受けるためには黒板を見る必要があります。つまり視覚は私たちの行動において重要な役割を果たしているのです。
このような視覚に基づく外界の認識はどのようなメカニズムによって成立しているのでしょうか。
「視覚科学」とはヒトの視覚情報処理メカニズムを実験によって客観的に検討していくことで、最終的には「ヒトとは何か」を明らかにしていく学問です。
今回はヒトの知覚メカニズムを取り上げて、視覚科学の考え方を学んでみましょう。
今回の講義の目標はヒトが外界を知覚し認識するメカニズムについて概説することでした。そして、受講生の皆さんにとって視覚科学の入門となるように構成を組み立てました。
講義の前半では眼球運動や脳内の視覚処理経路の話をしました。これらの内容は次回の講義では前提となる内容であったため、こちらからの一方向的な時間が続いてしまったかと思います。そのような中でもいくつか鋭い質問をしていただきました。これらの質問によって講義に厚みが出たと考えています。ありがとうございました。
講義の後半では錯視を取り上げました。これは私たちの知覚体験と外界の乖離を体感していただきたいと考えたためでした。実際、受講生の皆さんにはこの乖離を身をもって感じていただけたと思います。ただし、「どこかで見たことある」錯視ばかりを取り上げてしまったのは反省しています。
今回はヒトの視覚メカニズムの概説を目標としていたので、具体的な研究事例に時間を割くことができませんでした。次回の講義では先行研究を紹介しながら、そして今回の反省点を改善することで視覚科学のミカタ・おもしろさを伝えられるよう頑張ります。宜しくお願いします。
講義自体はかなり練られており、喋り方やスライドデザインなど、技術的な面においては特段、問題は無かった。ただ、配布資料があった方がよいという声が複数あった。
前半部分の専門的な内容と、後半部分の錯視を用いた参加型の部分の繋がりが十分に分かりにくかったという意見が出た。また、前半と後半の順序を入れ替えた方がいいのではないか、という意見もあった。
加えて、脳の欠損というショッキングな内容を扱っていたところもあり、十分なフォローと説明が必要であるという指摘もあった(ロボトミー手術)。
錯視の図形についても、その他の類する入門講義でかなり使われている面もあり、食傷気味になっているかもしれない、という意見があった。何を材料に使うかについては吟味が必要であるように思われる。
「解釈」や「類推」といった言葉の使い方についても、その使い分けに意味があったのかどうか、という問いかけがあった。この点は理系に限らず文系においても普遍的な問題であり、発言やレジュメ等で工夫する必要がある。
今回の院生質疑は例によって少し長すぎたところがあり、反省が必要である。また、コメント内容についても、もっと工夫が必要だと感じた。今後に活かしたい。
杉谷(政治学)