第7回 方法の違いと見方の違い                                                                                                ――社会学と発達科学

担当:萩原広道・真鍋公希

概要

社会学と発達科学、これまで2名の講師がそれぞれ個性的な講義をしてきましたが、

受講してくれた皆さんの感想はどうだったでしょうか?

2人の講義は対象や内容が全然違っていましたが、

実は共通して、それぞれの分野の量的・質的な研究方法を2回の講義に分けて紹介してきました。

今回はその共通点を手掛かりに、各講義の内容も少し振り返りながら、

お互いが異分野だからこそ生まれる疑問や問題意識を遠慮なくぶつけ合う

「学際ディスカッション」を行います。

このディスカッションを通して、それぞれの分野の「ものの見方(ミカタ)」の違いが、

よりくっきりと浮かび上がってくることでしょう。

 

後半は他の院生や参加者のみなさんにも議論に混じってもらって、

これまで出てきた違いを乗り越えて、

社会学と発達科学の間で、真の「学際性」を達成するためにはどうしたらいいのか、

ということについても話を広げていきたいと思います。

 

2名の講師のこれまでの講義を受けてきた人はもちろん、ミカタに初参加の人も大歓迎です。

講義を終えて

学際ディスカッション1回目、参加されたみなさんありがとうございました。

最初は真鍋・萩原両講師が、お互いに質問をぶつけあうことから始まり、

後半は学部生からも多くの質問をもらって、充実した議論をすることができたように思います。

90分間のつもりでしたが、結局18:30過ぎまで議論するという白熱した時間になりました。

議論は拡散する一方で着地点を見出すことはありませんでしたが、

お互いの分野に対して抱いていた印象が変わったり、意外な共通点が見つかったりして、

登壇者としても学ぶことの多い時間でした。

 

また参加者アンケートで「この企画は学際的だったと思いますか」という質問に対して、

「学際的とは何かがわからないので何とも言えない」という主旨の回答をもらいました。

このような回答をもらった一因は議論が収束しなかった点にあるのでしょうが、

たかだか90分で「学際的」な着地点を見いだすよりも、

参加してくれた方の中にそもそも「学際とは何か」という、

より根本的な問いが生じたということの方がむしろ、

企画として成功しているのではないかとメンバー一同考えています。

 

多くの質問をもらい、時間内に回答することができなかったので、

以下で残りの質問について返答しておきます。

質問していただいた方はぜひ確認してください。

まだ疑問点が残っている方は、ミカタのフリートークなどでいつでも気軽に聞いてくださいね。

 

 

Q.哲学の影響について

(真鍋)もちろん社会学も哲学から大きな影響を受けていますし、

逆に社会学が哲学に影響を与えている部分もあります。

その代表例として、今回の質疑でも言及したM.フーコーの権力論を挙げることができるでしょう。

また逆に、一般に構造主義・ポスト構造主義と呼ばれるフランス現代思想の系譜を遡ると、

その思想的水脈の一端には第1回で扱ったデュルケームを位置づけることができると思います。

 

(萩原)発達科学も例にもれず,哲学の影響は大いに受けていると思います。

例えば,言語発達の分野で今も仮説検証の営みが続けられている問題に

「ガヴァガーイ問題」というものがあります。

これは,もとは米国の哲学者クワインが提出したものです。

内容には立ち入りませんが,気になる方は調べてみるか萩原まで聞いてください。

 

 

Q.社会学において個人がどのように考慮されるのか

Q.小さなスケールの集団を社会学的に考えるときの利点/欠点について

(真鍋)関連する質問なので、同時に返答します。

まず社会学における個人の位置づけですが(萩原さんの質問との関連だと推察します)、

研究対象の設定によって変わってくる部分なので一概に説明できない部分です。

あくまで一般論として理解してもらいたいのですが、

比較的大きな規模の集団に着目して行為のメカニズムを考える研究では、

個々人の差異は捨象され平均的な傾向性として抽象化される傾向があります。

それに対して小さなスケールでは、

個人の動機や相互行為の具体的な実態に基づいた「リアル」な記述・分析が行われています。

この点は小集団に注目する大きな利点ですが、

分析が大きな社会的文脈の中でどんな意味を持つのか曖昧になりやすい点が欠点だといえるでしょう。

このようなミクロ-マクロそれぞれの方法がもつ傾向性と研究者の関心を鑑みながら、

どんな対象にどのようにアプローチするのかを考えていくことが重要だと思います。

 

 

Q.アソシエーションや学校への通学などの社会的な慣習が発達に与える影響について

(萩原)影響はあります。

社会や文化の違いによって,子どもの認識やコミュニケーションの取り方などは多くの点で異なります。

また,よりローカルな社会(例えば家族や学校の違い)によっても,発達は影響を受けるでしょう。

 

 

Q.大学生を社会学的・発達科学的に考えると?

(真鍋)一概に大学生といっても、

戦前や戦後すぐのような一握りの人間だけが大学へ行っていた時代と、

今日のように大学に行くのが一般的な選択肢となり、多くの人が大学に通っている時代では、

社会の中で大学・大学生がもつ意味が大きく異なります。

このような時代的変化が、大学生を社会学的に考えていく際の切り口のひとつになるといえるでしょう。

 

(萩原)例えば,エリクソンは乳児期から老年期まで(まさにゆりかごから墓場まで)の発達段階と,

それぞれの段階で生じる特有の葛藤や危機について論じました。

このように,大学生も発達科学の対象になります。月並みな答えになってしまうかもしれませんが,

僕自身は,「自分が何者か」「自分はこれから何者でありたい/なりたいか」を問うということが,

大学生の発達的特徴だと思います。

より詳細に知りたい場合は,京大にも青年期の発達を専門に扱っておられる先生がいらっしゃるので,

そちらを参照されると良いでしょう。

 

 

Q.社会と個人の関係を問う社会学の意味

(真鍋)社会学は多様な研究対象をもっているので、

ここでは「社会からの拘束」という社会学の基本的な視点がもつ意義に限定して答えることにします。

たとえば、自分が何かしらの問題を抱えているとき、

僕たちは身近な世界との関係だけでそれを意味づけ、解決しようと試みがちです。

しかしそのような問題が実のところ、社会的な構造要因によっても引き起こされており、

身近な世界を考えるだけでは根本的な解決ができない、というときが往々にしてあります。

社会学的な「ものの見方」はこの状況を発見し、構造的な問題を解決したり、

同じような状況に置かれている人々と連帯したりする可能性を探るための第一歩になります。

抽象的な上に大それたことを言っていると感じる方もいるかもしれませんが、

このような見方を身につけられる点に、

社会学的に研究することの、そして社会学を学ぶことの意義があると考えています。

 

 

Q.豊かな発達とは具体的にどんな意味を持つか

(萩原)ディスカッションの後に残った皆さんには少しお話ししましたが,

階段状の発達観だと,「伸びる方向」がひとつに決まってしまう印象をもってしまう危険性があります。

子ども自身に「伸びたい方向」が潜在的にあって,その方向性を尊重しながら,

環境を整えたり,一緒にその方向を目指したりすることが,豊かな発達につながると思っています。

その意味では,多様性を尊重する発達ということになるでしょう。

もう少し言えば,個人間の多様性もだけれど,

人内の多様性(選択できる手札が複数あること)も大事にしたいと考えています。