第1講 3月2日(水) 担当:下山(哲学)

「理解」とは何かを巡って

 

本講義の目的は、哲学の一分野として近年大きな位置を占めるようになった「解釈学」 について、この状況の立役者たるガダマーの主著 『 真理と方法 』 1960 )における「解釈」概念を精査する過程を追うことで、受講者に「解釈」にまつわる諸問題群を提示することである。

さて。何のこっちゃと面食らったことと存じますが、如何でしょうか。

哲学と一口に言っても、その研究方法も研究対象も論じ方も様々です。 「存在」とは と論じるために、これまでの哲学史を追っていったり。はたまた時間の流れについて知ろうとして、物理学や数学の世界に片足どころか両足を突っ込んだり。

哲学を概観しようとすると、えてして何かが強調され何かが取りこぼされるものです。それゆえ今回の講義では「哲学」全体を語ることは放棄して、もっぱら私の研究に関わる話をいたします。 私は「理解すること」を、日常を営む上で常に起こる基本的現象として、また学問を行う際の必須の契機として捉え、研究しています。 この「理解」、理解しようとすればするほど問題が出てくるコトバであるわけですが(例えば、この時点で「理解」と「解釈」の関係が気になったりしませんか?)、 今回はどんな仕方で「理解」を問題としよう

としているか 、実際に私が辿った道に照らし合わせながらお話ししようと思います。

 

第2講 3月3日(木) 担当:稲葉(社会学)

日常的な相互行為場面の分析について(初歩)1

 

本講義では相互行為場面 がいかにして社会学の対象として扱い得るのかに関する初歩的な説明を試みる。 講義の第一回では、日常的な相互行為場面を社会学的に分析することに関するレクチャーを行う。 講義の初めに、日常的な相互行為を社会学の対象として見ることに関する説明を簡易的な形で行う。 説明の後で、受講者には実際に本講義で、日常的な相互行為場面の分析を体験 してもらう。 短い動画( 1~2 分程度)を講義内で試聴してもらい、その動画で理解できることに関する分析を段階的に行う。 本講義の目的は、社会学の対象として相互行為場面を扱う際に どのようなことに気を付けて分析を行えば良いのか に関する一つの示唆を与えることにある。

 

 

第3講 3月4日(金)担当:下山(哲学)

「理解」の二つの方向性

 

本講義の目的は、前回の講義で取り上げた「解釈」を巡る諸問題群の概観を経たうえで、ガダマーの解釈学における「解釈」の二つの重要な契機 〈 対話の継続 〉 と〈 事柄への志向 〉 を取り出し、これらに分析を加えたのちに双方の調停を図る、まさにその過程を受講者に対して示すことである。

前回、「理解」にまつわるさまざまな問題について、研究を行う上で実際に取った手法を示しながらお話ししました。 今回はこれらを踏まえたうえで、 研究を進める(=論文を書く)上で、どのように問いを立てまたどのようにこれに取り組んでいくか について、お話ししようと思います。 しかしこの際語られる事柄とは、 「哲学」固有のものなのでしょうか。他の分野・領域にも当てはまるのでは? 逆に、他の「哲学」には当てはまらないのでは? 「本質」や「定義」を考える(ものだと思われがちである)われわれは、この点にも踏み込んでいこうと思います。

 

第4講 3月7日 (月) 担当:稲葉(社会学)

日常的な相互行為場面を分析する(初歩)2

 

本講義では相互行為場面がいかにして社会学の対象として扱い得るのかに関する初歩的な説明を試みる。 なお本講義は、第 1 回講義の内容を前提として進めるため、本講義受講者は第 1 回講義を受講していることが望ましい。

講義の第二回では、初回講義の応用として、初回の講義で体験したような分析が研究においてどのように用いられるのか 講義担当者の研究を紹介しながら説明を行う。 講義で扱うのは、講義担当者が現在投稿中の論文の内容である「野宿者(ホームレス)」に関するものである。 当該研究では、野宿者の生活史などを踏まえ、なぜ野宿者が路上にとどまるのかについて、 1 人の野宿者を対象とし、インタビューデータを資料として用いて分析を行っ

ている。 前回講義で受講者に体験してもらったような分析が、社会学の研究においてどのように用いることができるのかについて、本講義の受講者が示唆を得ることが本講義の到達目標である。

 

第5講

3月8日 (火 担当:稲葉(社会学)・下山(哲学)

ディスカッション

 

二人の講義を踏まえた上で、一つのテーマに対してそれぞれの「見方」を比べ合うディスカッションを行います。