人のミカタ・ヒトのミカタ

担当:藤道・安藤・伊縫(司会)

概要

 「〇〇を研究する」と聞いたとき、この「〇〇」に入る言葉は様々なものが考えられますが、自然な回答の一つとして「人間」が挙げられるのではないかと思います。というのも、「人間」を研究対象とする様々な学問的が考えられるからです。例えば、社会学、心理学、教育学、生物学、医学など。事細かに全ての学問を挙げきることは難しいように思えます。

 

 では、これらの学問は、皆が「人間に対する同じ考え方」を持って研究をされているのでしょうか? 少なくとも私は、そうではないと思います。

 それぞれの学問がそれぞれの「考え方」を持って研究をしているのではないかと考えています。言い換えれば、人間を様々な角度から考えたために、様々な学問が発展してきたと考えています。

 

 それでは「人間に対する様々な考え方」として、どのようなものがあるのでしょうか?

今回のディスカッションでは、公共政策学を専門とする安藤さんと視覚科学を専門とする藤道さんのお二人をお招きし、研究に対する考え方を伺います。特に、自身の専門分野に興味を持ったきっかけや考え方などについてお伺いする予定です。

 ぜひ、ご参加していただけたらと思います。

ディスカッションを終えて

 人前でディスカッションをしたことがなかった上に、これまで接点のなかった公共政策を研究されている安藤さんとのディスカッションということで、有意義なものにできるのか当日まで不安でした。ところが結果として、分野が離れているからこそ生じる素直な疑問から、ディスカッションの本題である、人間のとらえ方の違いへと議論を昇華できたという点で個人的には非常に良い経験になったと考えています。

 人間のとらえ方についての議論により、新たな研究ビジョンが見えた気がします。それは自らの研究を社会にどのように還元していくかという方向です。これまで自分は人間を生物学的にとらえ、その視覚情報処理のメカニズムを検討する基礎研究を進めてきました。一方で安藤さんは人間を社会に属する存在ととらえて、特に政策に関わる人への調査などを通して人間と関わっていました。このことから、自分の研究が人と人との関わり(社会)の中でどのように活かせるのかという視点からも研究を進めていきたいと思いました。

藤道(視覚科学)

 

 

 藤道さんも私も、どちらも人(ヒト)に関わる研究をしている。ところで、藤道さんのように生体機能を見れば人が分かるのだろうか?私のように政策ができる過程やその内容をみれば、そこにいる人が分かるのだろうか?ディスカッションでは、そうとは簡単に言えないことがあぶり出された。それでも、これらの方法で、捉え難い人のありようが随分明らかになってきたのも事実だ。完全に捉えられないこと=研究の意義の否定、とはならない。

 しかし、「これで十分」という声は、私のような未熟者には一生聞こえてこないだろう。

 じっさい、2回目の私の講義に対するアシスタントコメントで指摘があったが、私は政策の対象となる、多様性にあふれた地域の「現場」については、語ることをしなかった。語る手札が無かった。今はただ未熟な院生として、「欠けている視点、考慮していない要素がある」ことを自戒とともに肝に銘じ、限られた時間と資源のなかで、出来る限り取りこぼしを減らす努力をするしかない。

 今回のディスカッションを通じ、人を見ることの困難さに、改めて目眩を覚えた。研究の場が与えられていることに感謝し、より意義ある研究ができるよう、精進します。

安藤(公共政策学)

 

 

 公共政策学が専門である安藤さんと視覚科学が専門である藤道さん、お二人のディスカッションの司会を担当するというお話をいただいて、初めは「どうしようか?」と悩みましたが、無事ディスカッションを終えることができ安心しています。

 このディスカッションの題名は, お二人の専門が「人を研究する学問」という共通点があるものの、異なるモチベーションを持って研究されていることが講義を通して分かってきたことに由来します。

 せっかくこのタイトルつけたので、お二人以外の(人を研究する学問が)専門の方からも、少し話聞いてみようをと企んでいましたが、時間の都合上、実行できませんでした。

また、ディスカッションの司会を担当することが実は初めてだったため、司会が行うべき技術側面に関しても反省点があります。

 しかし、(そもそも数学を専門とする)私の考え方とは異なる考え方を持った人の話をこのディスカッションを通して聞くことができ、大変興味深かったです。

伊縫(解析学)