シンポジウム報告

文責:真鍋公希

今年度の総人のミカタの総まとめとして企画した今回のシンポジウム、多くの方にご参加いただき、大変な盛会となりました。初の試みだったということで、個人的には初歩的なミスを犯してしまいましたし、また会の全体を通して、「研究を他者に語る」という言葉が理念的な意味でも、卒論の異分野教員への発表の企画名という意味でも使われ、わかりづらかったなど、不手際も多かったように思います。

 

しかし、それでも後半のディスカッションでは活発な議論が展開され、とても実りの多い時間になりました。この場を借りて、改めて、登壇いただいた杉山先生、成瀬先生、そしてご出席いただいたみなさんに深くお礼申し上げます。

 

多くの論点を含んでいた報告・ディスカッションをひとことでまとめるのは難しいですが、それでも、総人のミカタ、そして総人・人環のこれからを考えるための一助として、ここで報告・議論の概要を書き起こしておきたいと思います。

 

また、第一報告の資料についてはこのページの最後に掲載しておりますので、ご関心のある方はぜひご覧ください。

1.3つの報告の概要

まず、総人のミカタからは、「研究を他者に語る」こと、そして「語ること」で自己相対化の能力を養うこと、という理念を腑分けし、整理することで、そこに欠けている視点を2点指摘する、という内容の報告を行いました。ひとつは、自分の専門分野の外にいる「他者」といっても、学部生に対して語る場合と、違う専門の院生や教員が相手になる場合では、その経験の質が異なり、一括りに論じるには問題があるということ、もうひとつは、この理念に基づいた活動を続けていくためにも、その背景に、「国際高等教育院問題」という歴史的な出来事があったことを自覚する必要があるということです。報告のスタイルについては至らない点もありましたが、内容に関しては多くの方の理解を得られたようでした。

 

次に、ゲストとしてご登壇いただいた杉山先生のご報告では、総人のミカタや今回の問題提起を好意的に受け止めたうえで、卒論の異分野教員への発表や教養教育実習以外の取り組みを紹介していただきました。そして、こうした取り組みが、他学部以上に総人・人環にとって重要であるという認識を、改めて強調されていた点が非常に印象的でした。

 

さらに、学外のゲストとしてお呼びした長崎大学の成瀬先生からは、社会的に「よいこと」を、他者を巻きこめる工夫を加えて展開する「ソーシャルアクション」という視点で、総人のミカタを捉えるというご報告をいただきました。私たちの取り組みへの好意的な評価だけでなく、「研究を他者に語る」という理念の前提にある「研究は個人で取り組むもの」という価値観の限界についてもご指摘いただき、これから活動をさらに展開するためのひとつの指針が得られたように思います。

2.ディスカッションの概要

こうした報告を受けて、ディスカッションでは、様々な立場の方と活発な意見交換ができました。多数の論点が提起されましたが、おおよそ総人・人環の抱える制度的な課題という個別具体的な論点と、「研究を他者に語る」ことの可能性に関する普遍的な論点という、ふたつの方向性にまとめることができるように思います。

 

1.カリキュラムの問題

複数の参加者の方から、とりわけ総合人間学部において、履修や進路選択の参考となる体系的なカリキュラムがない、少なくとも機能していない現状を問題視する意見が提起されました。こうした批判に対して、学生の自由や総人・人環の固有性を重視するためには、理学部や文学部のような積み上げ式のカリキュラムに体系化することは望ましくないという反論もなされ、どちらかに結論を下すことの困難さが、ディスカッションの中で改めて浮き彫りになったように思います。

 

しかし、体系化を受け入れるか拒むかという二者択一を迫る前に、もう少し、「いかなる体系化が可能か」ということについて、議論できていたらよかったのかもしれません。というのも、体系化を求める意見の背後には、進路に迷い、決めきれない学生が一定数いることへの問題意識があり、これを解決する積み上げ式以外の体系化の形を模索することが、今後の総人・人環を考えるうえで肝心だからです。当日の議論では、体系化=積み上げ式というイメージが、あまりに強すぎたのではないでしょうか。

 

私がこうした後知恵を思いついたのは、シンポジウム後に、参加していたある学部生の話を小耳にはさんだからです。彼の意見は、積み上げ式とは別の体系化を探すための示唆に富んでいたように思います。彼は、ひとつの講義が専門的な内容になるのは当たり前だが、講義の中で、他の教員の講義との関連についても説明してもらいたい、そうやって、いろいろな学問のあいだにあるネットワークを見せてもらいたい、といった旨を話していました。彼のいうように、それぞれの講義が他の講義とも関連づけられていれば、次に何を履修するか、どういった進路に進むのか、ということを、今よりも容易に想像できるようになるかもしれません。こうした試みから、積み上げ式とは違う形で、迷いがちな総人生に履修や分野選択の道標を与える「総人らしい体系的なカリキュラム」を考えることは、十分可能だといえるでしょう。

 

この点については、今回のディスカッションを踏まえたうえで、今月末の25周年シンポジウムなどで、議論が発展していくことを期待します。また、私たちからも継続的に意見を提案し、議論を活性化できればと考えています。

2.「研究を他者に語る」ことの可能性

シンポジウムのタイトルにもある「研究を他者に語る」という理念については、3つの報告のすべてで、それぞれの視点から課題と可能性が指摘されました。こうした報告を受けた後で、「研究を他者に語る」という理念が考案される際に念頭にあったこと、ということについても言及がありました。かいつまんでいえば、この理念の根本にあったのは、学問が細分化する中で、小さな研究課題に安住するのではなく、他者から投げかけられる「だから何?」という問いかけに答えるために、「学問が分化する以前のエネルギー」というべきものを相手に見せることだった、という旨だったように思います。

 

これは要するに、「研究を他者に語る」とは、自己相対化の能力涵養や教育機関として果たすべき総人・人環の社会的役割といったこと以前に、自分の「問い」を他者と共有するために、相手の知的好奇心をかき立てるように語ること、さらにいえば、相手を知的好奇心の根源へと誘うことだといいかえることができるでしょう。そして、普段の研究ではこの「だから何?」という問いかけを忘れがちだったり、他者に語りを届けることが容易ではなかったりするからこそ、「研究を他者に語る」ことは理念として提起されたといえます。

 

これを踏まえると、「他者」を分節化した私たちの報告は、その議論自体はいかに妥当であっても、より根本的な問いかけの次元を見落としてしまっているように見えるかもしれません。しかし、それでもなお、こうした根源的な問いかけの可能性を含む制度について考える際には、私たちの報告は重要な役割を果たすものだと考えています。そこで以下では、シンポジウムを経た後で、私たちの報告をどのように位置づけなおすことができるのかについて、触れておきたいと思います。

 

総人・人環ではすでに、異分野教員への卒論発表や教養教育実習、そして杉山先生が報告の中で提示された学際教育演習などが、この理念に基づいて実践されています。しかしながら、こうした一連の取り組みの目的や関係について、明確な説明が与えられているとはいえません。先ほどまとめたカリキュラムの問題同様、現状ではこれらの取り組みがそれぞれ独立して運用されているわけです。

 

このように、理念を共有しているとはいえ、実際にはバラバラに運用されている現状を問題ととらえるのであれば、報告で示した分節化は、唯一ではないにせよ、これらを関連づけ、体系化していくための有効な指標となりえます。たとえば、異分野教員への卒論発表と教養教育実習は、報告に従えば、段階的なものではなくむしろ相補的な制度として位置づけられます。また、新しい取り組みを構想する際にも、それがどういう位置づけになるのかを意識することで、思い付きだけで進めるよりも無理のない設計が可能になるでしょう。

 

とはいえ、「だから何?」という問いかけに直面し、それに答えることは、知識や能力の蓄積によって達成されるというよりも、ひとつの飛躍する出来事として経験されるといった方が適切かもしれません。仮にそうであるならば、個々の取り組みの目的や関係を示すまでもなく、その機会となるハコさえ提供できれば十分だという見方もありえるでしょう。

 

しかし、仮にそうした機会が与えられていても、「だから何?」という問いかけを重要なものとして受け止める態度が備わっていなければ、その機会は無駄になってしまいます。さらに、こうした一連の取り組みだけが、問いかけに直面する唯一の機会というわけではなく、日常的な研究活動や実生活の中で、根本的な問いかけに気づくこともあるでしょう。これを踏まえれば、「研究を他者に語る」という理念を制度化する際に目指されるべきなのは、他者に語る機会を与えることではなく、そこで直面する問いかけに応じようとする態度を形成することであるはずです。

 

そして、単に他者に語る機会を与えられるだけよりも、その機会がどういうものか、また他の機会とはどう関連しているのかを理解したうえで参加する方が、こうした態度を形成しやすいように思われます。これは、成瀬先生が提示した「フレームワーク」に対応する問題といえます(調理実習で、同じように自由にメニューを考えさせる場合でも、弁当をつくるという課題の方が、単に自由に考えるよりも学生の積極的な参加を引き出せたという例が挙げられていました)。こうした点で、根源的な問いかけを成立させるためにも、報告での分節化は有効な視点を提示しているのではないでしょうか。これについても、これから総人のミカタの活動を継続していく中で、さらに考えていきたいと思います。


当日には、このほかにも多数の話題が挙げられました。そのすべてを紹介できないことは残念ですが、今回、このような活発な議論の場をもてたことは、25周年を迎える総人・人環の今後に、必ず資するものだと考えています。

 

また、総人のミカタの活動に、多くの方が注目してくださっていることを肌で感じ、来年度に向けて、身の引き締まる思いでいます。これからも、総人のミカタの活動を展開していけるよう尽力して参りますので、変わらぬご支援を賜れれば幸いです。

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