第11回 言葉で私たちは何をしているのか

担当:谷川嘉浩

概要

哲学は言葉を使います。たとえ、言葉以外のものごとを論じる場合でも。

講義前半では、前回の講義を違った仕方で掘り下げ、補足します

(前回の講義を受講している必要はありません)。

前回の講義がどのように/なぜ「対話」だったかを振り返るだけでなく、

「哲学が常識を重視する」など、

恐らくみなさんの印象と違うであろう哲学の特徴について、紹介します。

 

後半では、対話/コミュニケーションについて、

言語哲学の有名な思考実験を通じて考えます。

依拠するのは、クワインという哲学者の「フィールド言語学者」の議論です。

当日は、フィールド言語学者は、未知の言語の辞書を作ろうとする言語学者のことです。

この議論について、入門書レベルの紹介から、発展的な研究まで見ていく予定です。

 

ここで得たコミュニケーションに関する知見は、

(哲学だけでなく)コミュニケーションに関係する様々な学問分野に、

持ち帰るべき示唆を与えてくれるでしょう。

なお、時間があれば、私個人の/研究の話のことをお話するつもりです。

進路選択や文や選択の参考になればと思います

講義を終えて

 総人のミカタというリレー講義企画は、本年度、前期・後期で、

各13回ずつありました(ガイダンス含む)。

みなさんのご参加・ご支援のおかげです。ありがとうございました。

 

さておき、哲学の講義。

哲学は、「生物学の哲学」「歴史哲学」「文学理論」など、色んな分野に顔を出します。

固有の対象がないからです。

とはいえ、哲学なる学問はどのようなことをしているのか、

何をどう証拠とみとめ、どのように評価されているのか、

どのように物事を捉え、書かれ、専門家が専門家として育てられているのか……

といったことについて、哲学は、あまり反省的だったとは言えないと思います。

 

私としては、「哲学という営み」に関するメタ的な分析を遂行したい、というのが、

今回の講義の目論見でした。いわば、メタフィロソフィーです。

哲学ーー実際は哲学に限らず、あらゆる社会的な営みがーーは、

言語と切っても切れない関係にあります。

私たちは言語を通じて考え、それを表現し、言語を通じて批判されます。

そこで、講義では、「言語」、あるいは、「コミュニケーション/対話」に注目し、

そこで(意識されないままに)どのようなことが行なわれているのかを論じたのです。

 

当日は、様々な事情からその辺り、平易にお伝えできなかったのが残念ですが、

そのような意図で構成された議論でした。

気になること、わからないこと、おすすめの本など、問い合わせがあれば、

いつでも質問してください。

 

ソクラテスのようにはなれませんが、とにかく、会話が好きなので。

4. アンケート質疑への回答など:

質疑について。

当日、「好意の原理」について質問がありました。

あまりうまく答えられなかったので、改めて回答しますね。

 

講義で挙げたような極限的な翻訳の場合については、納得しているけれど、

同一言語を使用する日常の会話で、そうした原理が本当に働いているのだろうか、と。

 

ある言葉、ある文章、(ある身振り)によってどのようなことを伝えようとしているか

を考えると、個々人によって、相手によって、状況や場面によって、

時期によって、微妙にニュアンスが違うのではないでしょうか。

一番わかりやすいのは、アイロニー(皮肉)や、お笑いのボケでしょうか。

あるいは、「好き」という言葉一つとっても、

大切に思う友人・家族らに同じ言葉をあなたが使うとしても、

微妙にニュアンスが変わってこないでしょうか。

 

授業当日は、ある種の閉鎖的な集団で用いられている

独自の言葉(ジャーゴン)の例も出しました。

オタクの言葉、ネットスラングなどでは、一見「常識」的に解釈しうる言葉でも、

微妙に込められている意味合いが変わっているはずです。

 

そういう風に、言葉に託すニュアンスは、言語レベルでも、

文化集団レベルでも、個々人のレベルでも、色々異なっている……

というのが実情ではないでしょうか。

そうすると、「好意の原理」は、どのような言語解釈の場合でも、

必要になってくると言えないでしょうか。

 

……長くなりましたが、こんな感じで捉えてもらうといいと思います。

アシスタントコメント

今回はいつもよりもかなり参加者も多く,活気のある講義でした.

講師の体調の問題があったとはいえ,題材も多くの人の興味を引くものであり,

反省会で言われていたほどは失敗していなかったように思います.

 

今更ながら思いついたので個人的な感想を.

フィールド言語学者の問題でのアプローチは

なんだか見覚えがあるなあと思っていたのですが,

これは要するに統計的な推定問題で,

そこで用いられている推論の方法も,

実はいかにも統計学らしいもののような気がします.

Gavagaiという発話の意味を考える過程はベイズ推定ですし,

好意の原理も要するに最尤推定法だというふうに解釈がつくように思います.

もっとも,今の機械翻訳の主流は統計的な方法なので

このことが特筆するに値するようなことなのかは分かりませんが……