明治時代の庭園を歩こう

担当:ロレダナ スコルシ(庭園論・美学)

概要

 

京都に住んでいる皆さんは、日本庭園をよく見に行きますか。

お寺などの庭園もあれば、私有の庭園もありますし、縁側から見る庭園、歩きながら楽しむ庭園、砂だけでできた庭園、池を中心に造られた庭園、庭園の様式は様々です。

特に速いペースで物事が進む現代では、日常を離れてみどりに囲まれながら静かにすごせるのは、もちろん庭園の一つの魅力です。

 

しかし、石に、亀石、伽藍石などあり、立っているか寝かされているかによって庭の時代がわかることなど、デザインについてもわかったら、庭園がより楽しくなるのではないでしょうか。

 

ところで、無鄰菴という庭園をご存知ですか。

まだそれほど知られていない庭園ですが、日本庭園の発展に重要な役割を果たしている明治時代の庭園であり、京都大学から歩いていける場所にあります。

明治時代に、ほかの分野と同様に、庭園にも大きな変化がありました。

シダなどのようなそれまで庭園になかったものが取り込まれるようになったことから、意匠全体にかかわることまで、無鄰菴はその当時において革新的な庭園でした。

 

この授業では、桂離宮など、江戸時代の庭園と比較しながら、明治時代の庭園の特徴を解説します。

庭園における時代別の変更を学ぶことで、京都に様々な庭園への見方を洗練しませんか。

講義を終えて

 今回、自分の研究テーマについて日本語で日本人の学生に向けて初めて講義をしました。発表の仕方、外国人の私は日本人に紹介すべき内容など、不安なところが沢山ありました。

 

 まず私の日本語が通じたようで、良かったです。内容に関しては、明治時代の庭園の特徴を紹介するために、石、全体の景色、水、外部との関係、の四つの要素について話すことにしましたが、結局これらを説明するためには、捨石、景石、芝生、名所、縮景、流れ、借景など、15個以上の概念も持ってくる必要があり、内容が多すぎる授業になってしまいました。今後は内容を少なくして、個々の内容についてもう少し深い話ができるようにしたいと思います。

 

 今回の授業を学会発表と異なるものにするように意識した分、私の研究の意義などに触れることができず、結果的に総人のミカタの方針から離れてしまいました。二回目の授業をするときには、その点に気を付けたいと思います。

 私個人の研究についてここで補足するならば、明治時代の庭園を研究対象にしたのは、これらの庭園が、イギリス風景式庭園の影響をうけたことでより自然に近いデザインを持つようになったと推定されていたことを知り、その影響関係に興味を持ったという経緯があります。

 しかし、いざ研究を深めると、そうした影響がかなり証明しがたいことが分かってきました。現在は、明治時代に日本庭園のデザインにあらわれた変化を、この時代に西洋から入った概念、美的感性など、時代背景から探ることにしています。

 

 

 今回の総人のミカタでの模擬講義は、とてもいい経験になりました。みなさんからいただいたアドバイスを咀嚼して、二回目の講義に臨みたいと思います。

アシスタントコメント

 総人のミカタでは、毎回、異分野の院生が講義を聞きながらその場で質問を考える必要がある。それを「院生質疑」と呼んでいる。他分野との関係や、その分野内での今回の講義の位置づけなど、学問的なマッピング(地理感覚と言ってもいい)に資するような質問をすることが期待されており、院生メンバーは、院生質疑を「腕の見せ所」のように感じている人も多いようです(私がそうです)。

 

 今回の院生質疑では、「研究と現場の関係は?」と「庭園論での中心的な学問分野は?」という質問を投げかけました。前者は、文学と文学研究・批評、ゲームとゲームスタディーズ、発達科学と保育現場などを例に挙げました。後者は、観光学にとっての観光社会学と対比して、質問しました。

 質問趣旨の解説からもわかる通り、いずれも、他の分野にも少なからず話題が波及するだと思います。総人のミカタのコンセプトに関わることだが、他分野との関係が見えるといいなと思ったのと、庭園論内でのカルトグラフィができると嬉しいという考えがあったからです。これらは、講義だけでは十分なイメージを得ることが難しかったという事情もあります。

 

 特に前者の回答が絶妙だったので、そちらを振り返りたいと思います。私なりに総合すると、ロレダナさんの答えは、「誰が現場の人か」「誰が実践知を持つ人か」は視点や文脈で変わるというものでした。

 例えば、ロレダナさんは、作庭しないという点では「現場の人」ではありません。しかし、日本の庭園を多く目にし、日本の研究事情詳しいという点では、留学生向けに庭園の講義をしたり、母国で庭園について話すときのロレダナさんは、間違いなく「現場の人」だと言えます。これは、すごく当たり前のことではあるのだけど、人が忘れがちな重要な観点だと思いました。

 

 講義や後者の質問についても興味深いものがありましたが、ここではもう一点別のことを述べておきたいと思います。

 それは、このプレFD活動に留学生を迎えることができたことを喜ばしく思うということです。人環での留学生比率を考えたとき、当然であるべきことだと思います。しかし、日本全体を見渡したとき、非常に稀なことだとも思います(と書かなければいけないことが悲しいのですが)。

 高等教育論で国際化というとき、留学者の多さ・海外研修・外国人教員数・留学生数といった素朴な指標で語られることが多いのですが、「留学生の参加」について考えることも必要ではないかと改めて感じました。

 せめて総人のミカタは、誰であれ、積極的に参加できる場であり続けてほしいなと思います。

 

 

谷川(哲学・観光学・教育学)