「総人って、なにを勉強するところなの?」
自己紹介のたびにこの質問を投げかけられるのに、学部生のときの私は一度も、うまく答えることができなかった気がする。いろんな分野の「ごった煮」状態の総人をひとことで説明することなんてできないから、私はいつも仕方なく、自分の専門を説明していたのだけれど、そうすると今度は、「それは他の学部と何が違うの?」と質問され、どう言ったらいいのか分からなくなって適当にお茶を濁していたからだ。
総合人間学部は学際的な学部だといっても、学生の研究は結局のところ、ゼミで教わっている先生の専門に収まることになるのだから、私が質問に窮したこんな経験はある意味当然なわけで、多くの総人生が直面していることだと思う。
2015年6月には「文系学部廃止」騒動もあった。文部科学省が出した通知の中心的な対象は、人文社会系、とりわけ教育学部のいわゆる「ゼロ免」過程だったから、文理融合型の総合人間学部が直接対象にされていたわけではないが、それでも私は強い衝撃を受けたし、とても他人事には思えなかった。なぜなら、私が学部生のときには、総合人間学部も「国際高等教育院問題」という事実上の解体の危機にさらされていたからだ。
さて、総合人間学部、人間・環境学研究科では現在、学際性に加えて新しい教育理念を提唱している。それが「『研究を語る』という教育課題」だ。専門分化が進み、ともすれば閉鎖しがちな今日の学問状況の中で、最先端の研究を突き詰めながらも、前提知識を共有していない他者に研究を語ること。それはまさしく、さまざまな分野の研究を行っている教員と学生が存在する、「ごった煮」状態の総人だからこそできることであり、曖昧だった総人のアイデンティティを逆手にとって、強みに変えていく有効な手段だと思う。
それと同時に、「研究を語る」という力は、学問や大学の存在自体が社会的に問い直されている現在の状況におけるアカデミズムの側からの真摯な応答にもなるものだろう。
こんな理念がせっかく採用されたのだから、その実施を先生たちに任せっぱなしではつまらない。私たち学生もまた、総人、人環の一員なのだから、私たちにできることをやって、この動きを盛り上げていきたいのだ。そうすればきっと、総合人間学部の「総合」とは単なる寄せ集めのことではなくなるし、人間・環境学研究科の「・」も、足し算ではなくて掛け算を意味するようになるだろう。このような参加メンバーのアツい思いで、総人のミカタは動き出しました。
もしこの思いに共感をもってもらえるなら、ぜひ総人のミカタに参加して、一緒に、総人・人環を変えていきませんか?
代表:真鍋公希