概要

 一般に、論文では冒頭で立てた問いに結論で答えを出すことが求められます。立てられる問いがどのようなものかは、もちろん専門分野の問題関心によって様々でしょう。しかし、専門分野に即した問いであっても、「面白そうだな」「読んでみたいな」と思わせるようなものもあれば、その逆の印象を与えるものをあるように思います。この違いは何に起因するのでしょうか。もちろん、「自分の研究テーマに近いかどうか」が重要な基準になっていることは間違いありません。ですが、自分の研究テーマから遠くても興味をひかれる論文もあれば、自分の研究テーマに近くてもおもしろさを感じない(関係があるから仕方なく読まないといけない)論文もありますから、それとは異なる基準があることも事実といってよいでしょう。
 このディスカッションでは、自分の研究テーマからの距離に還元できないこの基準を、「いい問い」が立てられているかどうか、といいかえることにします。すると、次の問いが立つでしょう。「いい問い」とは何か。それは分野によってどのような偏差をもちうるのか。総人のミカタの1年間の締めくくりとして、この問いに取り組んでみたいと思います

講義を終えて

「いい問い」とは何か。いつもながら、大きなテーマを掲げたディスカッションでしたが、議論も盛り上がり、総人のミカタの3年目の締めくくりとして恥じない内容になったのではないかと思っています。登壇した二人の分野の違いもさることながら、フロアも交えてのディスカッションでは分野内でも様々な立場の差異があることが浮き彫りとなりました。総人のミカタは分野間の差異に注目しながら活動していますが、もちろん実際には、同じ研究分野も一枚岩ではありません。今回のディスカッションは、そうした研究(者)の多様性の一端が垣間見えた点でも、これまでの講義や院生質疑を補完する役割を果たせたのではないでしょうか。
さて、司会として二人の考えを引き出すことに注力したので、当日はあまり私自身の考えについては話しませんでしたが、実はまとめも兼ねて用意していた話題がいくつかありました。せっかくなので、そのうちの一つをここで紹介したいと思います。以下の引用は、社会学者の見田宗介が入門書で語っていることですが、とりわけ総人という場で学ぶときには、分野を問わず大事になってくることであるように思います。一つの参考になればと幸いです。重要なことは、「領域横断的」であるということではないのです。「越境する知」というのは結果であって、目的とすることではありません。何の結果であるかというと、自分にとってほんとうに大切な問題に、どこまでも誠実である、という態度の結果なのです。あるいは現在の人類にとって、切実にアクチュアルであると思われる問題について、手放すことなく追求しつづける、という覚悟の結果なのです。〔……〕学問の立入禁止の立て札が至る所に立てられている。しかし、この立入禁止の立て札の前で止まってしまうと、現代社会の大切な問題は、解けないのです。そのために、ほんとうに大切な問題、自分にとって、あるいは現在の人類にとって、切実にアクチュアルな問題をどこまでも追求しようとする人間は、やむにやまれず境界を突破するのです。(見田宗介,2006,『社会学入門』岩波書店:7-8p、原文強調は省略)